技術翻訳雑感

8. 専門用語の記憶法

頻繁に現れる専門用語は、あらかじめ暗記しておくべきです。そうすれば、その都度辞書で調べる必要はなくなるので、後々翻訳の効率が上がります。

しかし、私はもともと記憶力があまり良いほうではないので、この暗記作業についてはかなり苦労しました。

翻訳を始めた頃は、必要な専門用語を、たとえば、英語と日本語と英語を対応させて、声を出して読んだり、メモ用紙に書き取ったり、といった一般に行われる方法を数十回も行ってようやく覚えていました。

そうしているうちに、もっと効率的な記憶方法を偶然見つけることができました。

一般的に効果的な暗記方法としては、いわゆる「暗記術」が知られています。それは、具体的で印象的なイメージを思い浮かべ、それに関連付けて言葉を覚えるという、かなりの慣れを必要とする暗記法ですが、私が選んだ記憶方法はそれとは別のものです。

私の方法は、「スーパーラーニング」(Sheila Ostrander, Nancy Ostrander and Lynn Schroeder著、平井富雄監訳、朝日出版社、1980年)に基づくものです。スーパーラーニングは、その学習方法が簡単ではなかったためでしょうか、結局一般的に普及することはなく、いつの間にかほとんど立ち消えてしまったようです(スーパーラーニングの幻影?-その1)。似たような学習法で「スピードラーニング」という学習法がありますが、これは英語のヒアリングの能力を鍛えることが中心の学習法のようであり、スーパーラーニングとはまったく別のものです。

スーパーラーニングの学習は次のように行います。

まず、心身の緊張をとるリラックス練習を1週間以上行い、「リズミカルな呼吸法」という特殊な呼吸法を訓練し、吸う・吐く(合計4秒)と止める(4秒)を繰り返すことができるようにしておきます。呼吸の1サイクルは8秒です。次に、リラックスできる音楽(必ずずテンポの遅いバロック音楽でなければならない)を15〜20分録音しておき、その音楽を小さな音量でバックに流しながら、記憶すべき外国語と日本語を対にして読み上げて録音します。この時4秒の空白と4秒の録音が繰り返されるようにします。さらに、この出来上がった録音を再生し、それをリズミカルな呼吸法で聞きながら覚えます。このように、スーパーラーニングはかなり面倒な学習方法です。

私は一通りこのテキスト通りに実践してみましたが、うまくゆかない問題点がいくつか見つかりました。

まず、必ずバロック音楽をバックに流す必要があるというのですが、これは私の場合、背景音楽はかえって耳障りであり、精神集中を妨げるものでしかありませんでした。バロック音楽に限らず、私の場合は、どこかで音楽が鳴っていると、そちらに気を取られて、記憶すべき対象に意識を集中することができないのです。

また、わざわざ教材を作らなければいけないというのも、とても面倒な作業です。1つや2つの単語なら、教材を作らずに、その単語が出てきたときにそのまま覚えたいものです。

さらに、リラックスするための訓練ですが、この訓練方法は、私の場合、あまり効果的な方法とは思えませんでした。

スーパーラーニングのリラックス法は、は基本的には「自律訓練法」に似ています。そう考えると、一般に効果があることが実証されている自律訓練法を行った方が、リラックスするためには効率的であると思います。

参考:

自律訓練法 - Wikipedia
自律訓練法をやってみよう


自律訓練法では、仰向けに寝るか、椅子に座った姿勢で、目を閉じて、呼吸を腹式呼吸で安定させ、息をゆっくりと吐きながら、「手足が重い」などの自己暗示をかけます。

こうした自律訓練法を十分に行って体を慣らしておくと、椅子に座った状態で、体を一瞬でリラックスさせることができます。スーパーラーニングを訓練するだいぶ前のことですが、私は自律訓練法に興味を持ち、1か月ほど毎日、独学でその練習を行って大体のコツをつかんでいました。

このようにして、スーパーラーニングに自律訓練法を取り入れた方法の方が、暗記方法としては、より適していると思います。

また、呼吸の方法ですが、吐くときは口から吐き、吸うときは鼻から吸うのが良いようです。

息をほぼ吐き切ったら、軽く呼吸を4秒ほど止めます。しかし、この時に強く緊張するようでしたら、止める時間は2秒程度に短くした方が良いでしょう。

実は、呼吸を止めない方がリラックス状態を維持しやすいのですが、呼吸を続けたままだと集中力が途切れがちなので、暗記には向かないように思えるのです。リラックスと集中はトレードオフ(二律背反)の関係にあります。リラックスしないと記憶しにくいし、また、集中しないと記憶しにくいのです。どうしても緊張しがちな人の場合は、呼吸を止めない方が良いかもしれません。

実際の記憶動作は次のように行います。

まず、暗記したい言葉を、紙などに書いて準備します。次に呼吸を整えて、息を吐いてから止めます。この呼吸停止の間に、書かれた言葉を見ながら、心の中でゆっくりと唱えます。そして数秒たったら、ゆっくりと息を吸い始めます。この時、書かれた言葉をしっかりと凝視すると緊張しがちになるので、そうならないように、緊張しない程度にゆったりと見るようにします。

この記憶動作をまとめると、次のようになります。

  1. ゆっくりと口から息を吐く
  2. 呼吸を止めながら、暗記したい言葉を心の中で唱える
  3. ゆっくりと鼻から息を吸う

この1〜3のサイクルを数回行うだけで、私の場合、1つの用語を覚えるのに1〜2分ほどかかりましたが、かなりの専門用語を覚えることができるようになりました。

皆さんもぜひお試しください。

この方法には、しかし、欠点が2つあります。

第1の欠点は、この方法では、読み方は覚えられても書き方は覚えられないことです。書き方を覚えるためには、この方法とは別に、英単語の綴りや日本語の漢字などを手で書いて覚える練習が必要です。

第2の欠点は、呼吸を止めている間に暗記する言葉を唱えなければならないので、長い文章を暗記することができないことです。スーパーラーニングでは、長い文章を覚えるためには、呼吸停止時間を長くするか、あるいは、その文章を分割して、2サイクル以上の呼吸で1つの文章を暗記するように提案されていますが、そのような練習法は実際にはかなり難しいと思います。長い文章は、声に出して唱える従来の記憶法の方を使った方が良いかもしれません。

さて、こうして専門用語を記憶したとしても、翌日になると忘れてしまうことが多いと思います。それを防ぐために、暗記用に用意したメモはしばらく保存しておいて、数日間はそのメモを使って時々暗記の復習をすると良いでしょう。

私にとって、この暗記方法はとても役に立ちました。もっと若い時に知っていたら、と思うと少し残念です。

しかし、その後、60歳になった頃、私は体を壊して体力がかなり落ちて、集中力が欠けるようになってしまいました。そのため、今では上記の方法で数回呼吸したくらいではとても暗記できません。それでも回数をかなり多くすれば、多少の効果はあるようです。